エレベーターであれこれ考える -内向型的エレベーターの乗り方-

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皆さん、エレベーターにはスムーズに乗れますか?
私は時々エレベーターに乗るのに余計な時間を費やしてしまうことがあります。

ん?それってなかなかエレベーターが来ないってこと?
と思われるかもしれませんが、そうではありません。あれこれと考えているとエレベーターの下りるボタンを押せないことがあるのです。

エレベーターのボタンを押すのに時間がかかる。
今回は私のそんな日常について綴ってみたいと思います。

私がエレベーターに乗るのに時間がかかる時

まず私も基本的にはエレベーターに特に何の躊躇もなく乗ります。目的の建物に着き、エレベーターホールへ向かい、上へ(もしくは下へ)ボタンを押し、到着したエレベーターに乗り込む。頻度としては圧倒的にこちらの方が多く、9割方は余計な時間を費やさずエレベーターに乗っています。

では私がエレベーターに乗るのに時間を費やしているのはどういった時かを改めて考えてみました。

主なものとしては、

1、自宅マンションで1階に下りようと思っているが明らかに誰かが乗り込んだ状態のエレベーターが来そうな時
2、会社のエレベーターであまり面識のない人たちがグループでエレベーターに乗ろうとしているのが確認できた時

といった2つのシチュエーションの時でした。
この2つのシチュエーション時に私は何を考えているのでしょうか?

エレベーターの前で考えるあれこれ1

まず1のシチュエーションにおいて私が考えるのは以下のようなことです

・一人で気ままにエレベーターに乗りたいな
・誰か乗っていたとしても挨拶くらいは出来る、でも気持ち良く挨拶返してくれない人だと嫌だな
・そう言えばこの前●階の人とエレベーターが一緒になって挨拶したけど感じ悪かったな、ひょっとしてその人が乗っているかもしれない
・エレベーター降りる時にどっちが開くボタンを押して相手を先に降ろすか、あの変な譲り合いの間が嫌だな

こんなことをエレベーターホールで考えてしまいます。
そしてこんな考えごとをしていると下りてくるエレベーターを確認しつつも
「このエレベーターはやり過ごすか」 と下へボタンを押さず、改めてエレベーターが上がって来るのを待つという選択をすることがあります。

ただこれが1回下りてくるエレベーターをやり過ごすくらいなら良いのですが…

・5回に1回くらいはやり過ごしたエレベーターが1階からすぐに動き出す
 おや?これは1階で誰かが乗ったのか?はたまた上の階の人が下に下りようとしているのか
・とりあえず様子を見てみよう…
・あ、上の階で止まった。これは…人が降りたのか?それとも乗って来たのか?
・エレベーター到着してすぐまた動き出した、これは人が乗ったな
・よし、このエレベーターもやり過ごそう

といったことが起き、なかなかエレベーターに乗れないという状況になります。
そして時にはこれを2~3回繰り返し「もういいや、諦めて乗ろう」か「非常階段で下りよう」のどちらかを選択することもあります。この場合エレベーターホールで軽く5分は費やすことになります。

エレベーターの前で考えるあれこれ2

続いて2のシチュエーションにおいて私が考えるのは以下のようなことです。

・あまり面識無い人達と一緒に乗るの気まずいな
・話しかけた方が良いのだろうか?とは言え話題は?
・話しかけられたらどうしよう?気の利いた返しができるかな?
・そもそもあのメンバーで少し話が盛り上がっている、そんな中に一人で乗るのは嫌だな
・よし、1回トイレに行ってあのメンバーが下りた後に改めてエレベーターを呼ぼう

このシチュエーションも1回エレベーターをやり過ごす感じなのですが、トイレに行って戻るとまた面識の少ないメンバーがエレベーターホールで待っていてといったループに入ることがあります。

このパターンもトイレに行ったり、また次もやり過ごしたりとしているうちに5分くらい時間を費やしてしまうことがあります。

自分が思うほど人は自分のことを気にしていない

そんなこんなでエレベーターに乗るのに必要以上に時間を費やしてしまう私ですが、最近は少しずつその頻度を減らすことが出来てきています。

その要因の一つが良く言われる
「自分が思うほど人は自分のことを気にしていない」ということを自分の言動に落とし込みすることが出来るようになったことです。

これは内向的なことと関係するかはわからないのですが、人生40年以上生きてくると
・なんであんなにいい加減な人なのに友達がたくさんいるんだろう
・あの人はこんな気の利かなさがあるのにあまりみんな気にしていないようだ

といった場面に多く出くわします。
自分はこんなにきちんと物事考えて順序だててやってるのに、人からの評価って決定的には違わないのだなということを痛感する体験を多々してきました。

そんな中で「自分が思うほど人は自分のことを気にしていない」ということを実感してきました。
言葉としての理解では無く多く実感してきたことで自分の言動にも落とし込みが出来てきているのかなと感じています。

終わりに -自分が思う通りにで大丈夫、内向的だけど堂々と-

「自分が思うほど人は自分のことを気にしていない」というのは事実だと思います。
ただ当たり前ですがそれは人が気にならない言動をしている範囲でのことです。

エレベーターで大きな声で電話で会話をしていれば当然周りは気にしますし不快です。
ですので今、私がエレベーターに乗る際の気持ちとしては

・人が乗っていたら誰であれ(宅配業者さんなど外部の人であれ)挨拶をしよう
・無理にそれ以上の世間話などはしなくてOK
・相手から何か話しかけられたら難しく考えず、そうですね、本当ですねと相槌だけはきちんとしよう
・エレベーターを降りる時に少し笑顔で失礼します、を言おう
・ここまでやって、それでも相手が私のことを悪く思うのであればそれは私にはどうしようもないし、誰が乗っていても同じように思われるはずだ

といった最低限のマナーやお互い乗り合わせた時に不快にならない立ち振る舞いをして、それ以上はどうしようも出来ないというある意味割り切りをするようにしています。

このことで以前に比べるとエレベーターに乗るのに余計な時間を費やすことは減ってきたと実感しています。

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今回のブログはいかがだったでしょうか?
自分がどう見られるか?は誰もが大なり小なり気にすることがあると思いますが、内向型の人は特に気にする傾向が強いと思います。

それは一つの傾向として受け入れ、その上でよりストレス少なく毎日を過ごすには?そんなことに今は集中して自分の言動や考え方を少しずつ変えようと努力をしています。

それでは今回はこの辺りで。
最後までお読みくださりありがとうございます。

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