小学生時代。それはごくごく普通に特別なストレスも無く過ごしていたと思う。
学校では休み時間にドッジボールをして、放課後は少年野球の練習、授業中には時におちゃらけた発言をして笑いを取るなどして毎日を過ごしていた。
クラスのみんなと友達という感覚があったし、自分が内向的だなんて意識することはこれっぽっちも無かった。
だけど、その時は中学時代にやって来た…
何かが変わり出した中学生時代
私の通った中学は二つの小学校区から生徒が通う学区構成になっていた。そして結果的にこのことが私の内向的な面を表面化させていくことになる。
小学校と違うクラスの雰囲気、内向的性格が表面化!
私とは違う小学校区から通う子は傾向的に少しヤンチャでどこかませているところがあった。改めて考えると私の通った小学校の生徒は全体的に穏やかで落ち着いた子が多かったのだ。
※以降、私の通った小学校をM小、もう一つの小学校をW小とする
そしてそんな二つの小学校区の生徒が集まった1年生のクラス。
小学校までとどこかクラスの雰囲気が違う。W小出身者は言葉や発するエネルギーが強く私は気後れしてしまう感じがあった。
またそこに拍車をかけたのが制服だ。学ラン、セーラー服に身を包んだクラスメート達はどこか大人びて見えてますます私が気後れするきっかけとなってしまった。なんだか今までと全く違う世界に来てしまった。そんな気持ちにも包まれた。違う、明らかにクラスの雰囲気が小学校と違う!
と言っても同じM小出身者でもすんなりW小の子たちと仲良くなる子はたくさんいた。元々あった私の内向的な面が表面化して来たタイミングがこの時だったのだ。
知らなかった!自分は元々内向的だったのだ
冒頭に書いた通り小学生時代には自分が内向的だと意識することは全くなかった。
けれども、今になって思うとただ意識することが無かっただけで…
・買い物の会計を自分でするのが嫌だった
(店員さんとのやり取りが嫌、どこが並んでる列かわからないとモジモジしてしまう)
・何かしらの受付作業が嫌だった
(自分は誰で、何を目的で来たかなど伝えるのが恥ずかしい、勇気がいる)
・(知らない)大人の人から話しかけられても、はい、いいえと言った簡単な返答しか
出来なかった
といったことはあった。
ただ、
・末っ子だったこともあり両親や兄姉が代わりに何かをやってくれることも多かった
・少年野球の友達は活発でクラスの中心になる子も多く、その子の友達である自分も
自然と色々な子と友達になれた
・野球がそこそこ上手くて、足も速く、運動も出来たのでなんとなく一目置いてもら
えていた
そんな事情から小学校時代は自分が内向的だと意識する機会が無かっただけだったのだ。
そう、今思うと私は幼少期から内向的で、生粋の内向型人間だったのだ。
内向的であることの表面化=思い悩む日々のはじまり
内向的な方は共感いただけるかと思いますが、気後れ、迷いといったものがますますの気後れ、迷いを生み、そしてそれがますますの~ と負の連鎖に落ちて行くのが内向型人間だ。
中学生となった私はクラスメートや同級生に気後れし、今話かけて良いのか?遊びの輪に入ろうとして良いのか?この子は知らない子だけど声をかけても良いのか?と迷い、悩みの無限ループに入っていくようになる。
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これから先、本ブログ「内向的な人々の集い」ではこうやって出来上がった(?)私の内向型人間としての人生の中で思い悩み、生きづらさを感じたことを中心に綴り、内向的な皆さまとわかる!あるあるやん!そんな解決策もあるのか!といった共感や共有をして行けたらと思っています。
ではでは、今回はこのあたりで。
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