コミュニケーションが大事、コミュニケーションを取っていきましょう。
こういった言葉は日常的に見聞きしますよね。
皆さんはこれらの言葉を聞いてどんな気持ちになりますか?
私はコミュニケーションが大事、といった言葉を見聞きすると気が重くなってしまいます。
今回はなぜ私は「コミュニケーションが大事」といった類の言葉を見聞きすると気が重くなるのか?を自分なりに考察してみたいと思います。
そもそもコミュニケーションとは?
まずは改めてコミュニケーションの意味について調べてみます。
goo辞書によるとコミュニケーションとは
と書かれています。
んー、こう書かれるとまあそうだよなとは思うものの、何か私が気が重くなるニュアンスを現しきれてないような気もします。(もちろん正しくはこういう意味だと思いますが)
コミュニケーションは大事なのか?
続いて違った角度からの考察ですが、「コミュニケーションは大事」なのでしょうか?
そういった言葉を聞いて気が重くなる私ですが、コミュニケーション自体は「大事」だと思っています。人と人とが生活する以上、意思、感情、思考を伝達し合うことは必要だし重要だと考えます。
ということは私がコミュニケーションが大事といった言葉で気が重くなるのはコミュニケーションそのものに対してというより、一般的なコミュニケーションという言葉の使われ方にあるのかもしれません。
コミュニケーションに含まれるあるニュアンスが私の気を重くする?
コミュニケーションは言語、文章、身振りなど様々な伝達手段があるとgoo辞書には書いています。
ところが実際に私たちが見聞きするコミュニケーションには何となくこういったニュアンスが含まれているように思いませんか?
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コミュニケーションとは直接、顔と顔をリアルに合わせて、より多くの人と明るく、楽しく、活気ある雰囲気の中で深めていくものである。また知らない人とも出会ったその場で積極的に会話を重ね、お互いの理解を深めていくものである。
人それぞれ感じ方は違うと思いますが、私には一般的に使われるコミュニケーションの裏にこういったニュアンスがあるように感じています。
そしてこれこそ私が「コミュニケーションが大事」といった言葉を聞くと気が重くなる原因なのではないか?そんな風に考えます。
内向型に合ったコミュニケーションの取り方を見つけたい
内向型な人間にとって、1日のうちにたくさんの人とコミュニケーションを取ることはなかなかハードルが高いことです。また初めて会った人と上手にコミュニケーションが取ることもなかなかハードルが高く「こんなこと聞いて良いかな?」「沈黙があるということは私のことあまり良く思っていないのかな?」などなど考えているうちに沈黙が沈黙を生み、重い空気を作ってしまうのは内向型が得意とする所でもあります。
そして、これじゃまずい!と思って無理して明るい自分、良く喋る自分を演じようとするとたいがい空回りして失敗するのも内向型あるあるかなと思っています。(私自身がそうです…)
1日でより多くの人とコミュニケーションが取れればそれに越したことはない、初対面の人とでもすっと距離を縮めて次回以降の約束なんか取り付けられればそれに越したことはない。でも内向型人間が無理してそこを目指すと失敗をしてしまう。
内向型には内向型に合ったコミュニケーションの取り方があると思います。
その方法を見つけることに集中すること、それこそが内向型人間である私が行うべき「コミュニケーション」との付き合い方かなと思います。
終わりに
今回のブログはいかがでしたでしょうか?
社会に出ると、「この人コミュニケーション取るの上手だな」と思う人とたくさん出会います。私も30代後半頃まではそんな人たちの真似をしてみたり、世に溢れるコミュニケーション関連の啓発本を読んでは、これを実践してみよう!と様々なトライをしてきました。
でも、それら全て何か違う、何か自分のモノに出来ない。
大前提として人と話をすることだけで莫大なエネルギーを要する内向型の人と、少なくとも人と話をすること自体にはそこまでエネルギーを要さない人とではコミュニケーションとの付き合い方が違うのだと今は思っています。
今回はここまでですが、今後も内向型人間がいかに人との関わりを持っていくか=コミュニケーションを取っていくか、についてはブログに綴っていきたいと思います。
最後までお読みくださいありがとうございます。
それでは今回はこの辺りで。
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